・水彩度


   六頁目


四日前。

 午前六時。
 えーえむ。おくろっく。
 なんだ平日よりも早い時間に目が覚めてやんの、などと思いながら携帯の電源を入れ直す。昨日の返信のほぼ直後に、今日の予定についてメールが送られてきていた。大体のところにおいて文句は無い。この予定通り行動するので、今日は良いだろう。時間割のような安心感――アイツは何処までも優等生だ。
 待ち合わせは午前の十一時。
 一応集合場所を近所にするのは避けたらしく、目的地にて顔合わせ。とは言っても、ちょっと賑やかなその町まで出るのに一時間はかからないから、予備時間を取ったところで残すところ三時間半は在る。未成年っぽくない服がいいとか言われても、選択肢からしてそこまでの幅は無い。むしろどのラインから未成年で、どっからが成年なんだか……明確な判断を下せないくらいには、僕は服装について世間知らずだ。ここで制服がいかに楽なのかを自覚させられる。
 ……時間割と言い制服と言い、学校に依存した生活をしてるもんだ。
 悩むふりをした後、精々それらしいものをチョイス。
 おっと……。
 着替えるのは後にして、とりあえず顔を洗うか。


*   *   *


「きーき。君さぁ……」
 卯生は会って早々第一声、
「とりあえずジャケットを着てくれば良いってもんじゃないよ?」
 僕に駄目出しをしてきた。
 呆れた風な苦笑いで、ずばっとばっさりだった。
「いや、他に着てくるものがなくてさ……」
「だったらせめて、もうちょっとマシな言い訳用意しておいでよ。輪をかけて格好悪いよー」
「マシな言い訳ってなんだよ……救いようの無いこと言うよなぁ。あー……んん。はぁ、お前しらねーの? ちょっとダサ気なしわしわジャケットが今超クールなんだぜぇ――とかか?」
「うっわ、マジないわー。あらゆる方面からありえないわー」
 そう言って、きゃらきゃらと笑う。楽しそうだ。
 卯生はと言うと、まぁ……お洒落をしてきていた。しかし残念ながら、お洒落の知識に疎い僕には、それを表現しきれるだけの名詞が揃っていない。赤を基調にしたシンプルなデザインのブーツ、タイトな長靴下(ハイソックス? ニーソックス?)には薄らと柄が入っていて、黒っぽいスカートは短めで何かひらひらしている。ゆるりとした長袖のシャツは白地にオレンジっぽい柄、上に袖の切り落とされた丈の短いジャケットのようなものを着ていた。そして軽くアクセサリが首とか腕とかに絡まっている。――うん、全然伝わらなさそうだ。
 似合っているとは思うが、それ以上のコメントを出来ない所がもどかしい。
 ま、いいか。
 加えて言うのなら、顔の印象がいつもと違う。
「うん? 化粧、してるのか?」
「んー、目元・口元だけだよ。あたしはまだ若い上に健康優良児だからね。素肌で勝負」
「それだけでも随分と、印象変わるもんだな……」
 驚いた。お目目ぱっちり、唇ぷるんとしてる。
「そう?」
「ああ、美人」
「ぶっ。素面で言うなー」
「…………」
 うーむ、女の子ミラクルだ。どう対応したものかわからない。しかも相手が幼馴染と言う微妙で絶妙なポジションなだけに、誉めるにしろ茶化すにしろやりづらい。とにかく僕なんかよりはるかに、他人の視線に対して気合が入っていることはわかった。隣を歩くのに苦労しそうだ。
 渡砂と学校外で会う時は、こんな格好をしていたのだろうか? だとしたら、それは僕の知らない卯生だったのだろうと、今更ながら思う。羨ましいと言う感想を抱くのは的外れな気もするが、鼓動が高まってしまうのを感じた。こんな奴相手に小癪な話だ。
「仕方ないなー。最初はきーきの服を買おうか」
「は? そんな金はないぜ」
「いいよ。あたしは今日お金持ちだから。お大尽様と呼びたまえ」
「お大尽――ねぇ……」
「むしろ今日は全部あたしの奢りってことで、どう?」
「――ふぅん」
 ギヴ・アンド・テイクで、僕らの関係は成り立っている――か。
 この場合はどうなのか。何を施して、何を貰い受けているのか?
 ちょっと考えてみて、すぐに保留にした。最悪こちらが借りを作ってしまっても、お金はお金で返せばいいだけのこと。金額と言う明確な値があるのだから、簡単な話だ。学生にとって決して軽い問題ではないものの、恩の貸し借りよりはずっとやりやすい。
「そうだな。そっちがそう言うなら、甘えさせてもらおうか」
「あ、素直だね。甲斐性無しじゃん、このこの」
「どっちなんだよ……僕の男らしいところが見たいのか?」
「うーん、それはそれで見てみたいけれどねぇ。あはは。今日は奢るってことで、あたしのファイナルアンサー……」
 と、雰囲気を出すように指を振りながら言って。切り替えるようにこっちを向いた。
「では! 君を格好良くコーディネートしてあげようじゃないか」
「ありがとさん。頼んだよ、カリスマファッションデザイナー」
「任せなさい」
 にこやかに僕へだけ微笑んで、卯生が手を軽く引く。
 手を繋ぐでも、腕を絡めるでもなく、極めて自然に。
 それがさも当然であるように、僕も応じて歩き出す。
 そして一緒に、雑踏の中へ、個性を埋没させてゆく。


*   *   *


 服を買うため、店に着いて。
 何気なく、どちらからともなく、携帯電話を取り出した。
 電話でも、メール着信でもなく、携帯電話を取り出した。
 僕のは簡素で、京都の土産のストラップがたったの一つだけ。
 卯生のには、様々なストラップが思い出のように揺れていた。
 暗黙の了解であるように、
 無言で確認しあうように、
 僕らは電源を切った。

 ――スイッチ、オフ。

 今風の服を購入。
 相変わらず僕は、ジャンルの名前もわからない。
 知らない服でも、着る事は可能。
 僕は着替えた。
 卯生に誉められた。
 似合ってるよぉ。
 そいつはどうも。
 お世辞だろうけれど、悪い気はしない。
 隣り合って、悠々と歩く。
 昼食をお洒落なカフェで食べる。
 食堂では、飲み物込みで五百円以内に収まるのに、
 この日は、一人当たり千円以上のお昼ご飯だった。
 二千円以上、だったかも。
 にわかには信じられない。
 卯生の奢りなのだけれど。
 仲良くお喋りをしながら食べた。
 何を話したのか、覚えていない。
 カフェを後にして、軽く散策、買い物めぐり。
 ゲームセンターに行こうか。
 ボーリングでもやろうぜ。
 お互いにしばらく振りだった。
 昔、家族ぐるみでボーリングをした時のことを、思い出した。
 おぼろげな記憶。
 あんなに重かったボール。
 今では片手で軽く持てた。
 だけどスコアに影響しない。
 仲良くお喋りをしながらプレイ。
 何を話したのか、覚えていない。
 卯生には当然負ける。
 花を持たせたのさ。
 負け惜しみだねぇ。
 健闘しただろ。
 思ったよりは。
 ボーリング場を後にする。
 おやつが食べたいと言われた。
 勝手に買えばいいだろう。
 そんな一緒に食べようよ。
 タイヤキ?
 カステラ?
 ミスタードーナッツ。
 サーティーワンアイスクリーム。
 ミント。
 ストロベリー。
 なんと。
 ありきたりー。
 仲良くお喋りをしながら舐める。
 何を話したのか、覚えていない。
 うろうろと時間を潰す。
 お金の圧力で時間を潰す。
 やがて街灯がちらつき始め。
 空の色彩が濃くなってゆく。
 夕食は?
 予約してある。
 なんだっけ。
 焼肉だよ。
 学生らしいな。
 けれど高級店だよ。
 だから服装について指定した?
 未成年じゃ気まずいくらいで。
 どんなだろうね。
 あたしも知らない。
 仲良くお喋りをしながら過ごす。
 何を話したのか、覚えていない。
 色々なことを、
 たくさんたくさん、
 お互いに話し合った。
 笑い合った。
 気心の知れた仲だから。
 肝心の話題は最後まで。
 落し穴のように。
 避けておく。
 落し物のように。
 取っておく。
 仲良くお喋りをしながら終わる。
 何を話したのか、忘れていたい。
 楽しかった。
 楽しい時間だった。
 そう思う。
 それでいい。
 それでいいんだな?


*   *   *


 とても上品な焼肉店だった。
 和風で個室。味付けは濃すぎず薄すぎず、深みがあった。量は控えめで、値段は高め。育ち盛りの僕らにとっては全然足りなかったので、卯生はじゃんじゃん注文した。流石にお酒に手をつけはしなかったけれど、サイドメニュー……和風なので、お品書きと言った方が正しいかもしれないが、それも含めて相当の値段になることは、想像に難くない。
 今日の卯生はお大尽様――なのだ。
「ふぅーむ、中々に美味であったぞ。よぅやった」
「……、何キャラのつもりだ?」
「ごちそうキャラでした」
「どれだけ美味しいキャラなんだよ、それ」
「あははは」
 食後に頼んだお茶を、お互い一口ずつすする。
「でも……結構な額になったんじゃないか?」
「うん。万に食い込んでるのは確かだろねー」
「食事の料金じゃないな。払えるのか? 日中も割と使ったと思うんだけど」
「よゆー」
「そっか、金持ち――」

 忌避するのも迂回するのも。
 機を伺うのも夢を見るのも。
 いいかげん、終わりだろう。
 ここいらで、本題に入ろう。

「――だったんだな。渡砂は」
「……うん」
 どちらも、表情は、崩さなかった。口調も乱れなかった。
 ただただ、間に挟まれた、雰囲気だけが、摩り替わった。
「……やっぱ、気付いてるよね」
「それは、な。気付かない方がどうかしてるだろう。言い出しっぺにして当事者なんだから。でも、わからない部分も多いんだ。質問していいかな?」
「うん。その――資格も、権利も、きーきにはあると思うからね」
「…………」
 無言で頷いて。少し、頭の中で質問の順を整理する。完成した生物の試験答案を、見直しする時のような気持ちだった。ほとんど確実な所から、確認するように訊いていこう。心の準備のために、今日を丸一日使ったのだから――あとは、テンポ良くやるだけだ。
「渡砂瀬々斗は自殺した」
「言うまでもないでしょ」
「卯生の動きとしては……この間の雨の日。水曜日――僕を家に送った後――だな?」
「うん。その足でせーせに会って、自殺方法を教えた」
「次の日、木曜日にも会ってる?」
「そうだね。お金を貰ったのもその時」
「渡砂の家に置いてあった……少量の金品。およびアイツのお財布か」
「毎日へそくりを確認する人なんて、居ないからねぇ。へそくりって今でも言うのかな? ちょっと最近は聞かない響きだよね……。とにかく、その通り――適当に処分してくれって、頼まれたよ」
「そっから今日の金は出てるわけだ。で、渡砂の自殺は、金曜日に実行――卯生は天文部に出たよな。珍しく」
「耳聡いじゃん。それに鋭いね。学校に長い間居た方がいいって思ったからだよ。気分」
「アリバイとか不在証明とは、ちょっと違うだろうからな。あくまで気分……精神的なもの、か。とすると、目撃された不審者ってのは?」
「せーせ自身か、せーせの友達かな。そこは知らないよ」
「ちょっとさかのぼって、先週の今日――日曜日にも、渡砂と会った?」
「良くそこまで判るね」
「半々ってつもりだったけど……メールが、ね」
「ああ。あれはささやかな悲鳴ってか、ヒステリー。ごめんね。意味不明な行動してー」
「あの程度、構わないさ」
「ありがと。……うん。まー……、先週の今日、で、決定的に決別。話し合いも歩み寄りも、失敗に終わっ、ちゃっ、た」
「…………」
 それで、だから。
 あの――月曜日、渡砂は一人で廊下に居たわけだ。独りで悩むために。そして、だから。僕に話し掛けてきたわけだ。偽りの態度、少々の虚勢、他愛無い強がり――ささやかな悲鳴みたいな気分転換を、するために。保呂羽卯生の彼氏と幼馴染の、取るに足らない会話。日常の合間、僅か十分にも満たない邂逅。
 両手の間で湯飲みを弄んでから、間を持たせるようにもう一口。
 机に戻して。ことん。
「渡砂に……、僕の自殺については?」
「話してないよ。明確には何も。……ななちゃん以外に話さないって、約束――契約したじゃん」
「そっか。そうだったな。……で、大体全部か。僕が訊くべきこと、聞いておきたいこと。最後に一つだけ、これは好奇心みたいなもんだが――教えてくれる?」
「……何?」
「どんな風に振ったんだ?」
 ぶふ。
 と、ここで卯生は吹いた。面白い顔をした。それから、少しだけ意地悪そうな笑顔を作る。
「あ、は――気になるんだ?」
「なるね」
「んー……」
 一瞬、またあの――喫茶店で見せたような――わざとらしい笑みになった卯生だが、思い直したようにすぐ自然な……然るべき表情へ戻した。自然な顔がいつも良い顔だとは限らない。それでも、打算を隠蔽しきれていない、卑屈な感情のはみ出た、歪んだ不自然さよりは、ずっと良い顔だと思う。ノリは軽くて構わない。けれど僕らは、この苦味を否定するべきじゃない。
 僕らが否定したら、もう誰も肯定しないのだから。
「そんなに込み入ったことはしてないんだ。この前の水曜日にせーせと会って、こう言う自殺方法があるよって教えて、それから……、『あたしにとって、君は必要な存在じゃない。あたしにとって――も――、せーせは必要なヒトじゃなくなっちゃったんだよ』って、言って。それで終わり」
「も……ね。それだけ?」
「うん、それだけ」
「そうか」
「……、……」
「…………」
「…………ごめん嘘」
 あっさり、とそう言う。
「うん?」
「嘘って言うか……そうだね……。もう一言、言ったよ」
「……。なんて?」
「『疲れたなら、死んじゃえば?』」
「……ふぅん、そっ、か……」
 それは確定的な台詞だった。
 単体では大したことのない、日常会話で発せられることすらある言葉。殺意やら犯意やら、悪意にすら届かないかもしれない。しかし、例えばもし、精神的にぐらついていて、安易な道具を用意された上で、その言葉を投げかけられたとしたら――投げかけてきたのが、最後に手を取った人物だったと、したら。
 崖端の背中を突き放つ、
 決行の理由と成り得る、
 それは確定的な台詞だ。
「――他殺――を装った自殺――と見せかけた、他殺。回りくどいしややこしいけれど……、渡砂の死に方は結局、そうなるのかな。生きる理由を奪うこと――心を殺すと言う行為も、他殺と表現するならね」
 僕はそう結論を出した。
 目の前の彼女が犯人だ。
「表現すると思うよ。法に規定されてなくてもね。あそこまで導いたのもあたしじゃないし、追い詰めたのもあたしじゃないし、辿り着かせたのもあたしじゃないけれど……でも。最後の一歩を促したのは、きっとあたしだから」
 犯人は簡単に自供した。
 けど探偵役など不在だ。
 端から推理など不必だ。
 さて、サスペンスドラマ好きだったのは、はたして誰だったけか。月曜日に交わした取るに足らない会話、あの雑談をおぼろげに思い起こす。知り合いでしかない他人を、記憶に探す。
 せーせはね、と、少しの間を置いてから卯生は続けた。
「頑張り屋さんだったよ。勉強も人間関係もね。親御さんの望む自分、自分の望む自分。それに応えようとして、実際に応え続けてきた、凄い奴だよ。だけど、それに追いついていけなくなる自分も、また自覚してた。……どんどん、勝手に追い詰まって行っちゃったんだね。それで、一人ではその重みを抱えきれなくなって、それでも、周囲に気づかれることを良しとしなかった。だから、重みと苦しみを分け合える人を求めた――」
「…………」
「で、あたしが選ばれた。最初は良かったけれどね――その内、気持ち悪くなったよ。あたしの存在意義を奪われてるような、あたしの存在領域を侵されてるような、そんな気分。なのに、お互いはお互いに、好きだったんだよ。ラブラブアンブレラだね。――ねぇ、どうしたら良かったと思う――?」
「今更……そう言われてもな。もう終わってる」
「だよね。そのまま腐敗していって、喰い合って。先に音を上げたのはあたし、先に折れたのはせーせ。ま、…………うーん。後悔は無いけど」
「けど?」
「ううん――何も、無いかな。何も残らなかった感じ」
「そう、かい」
 爽快な笑顔は恋人共々、上っ面。お互いに好き合って、お互いに有能で優良で、だから周囲は気付けない。匂いも漏らさず、腐敗した。身も蓋も無く言ってしまえば、似たもの同士だったんじゃないだろうか。
 ああ。僕の行動に渡砂が目をつけたのは――他人として観測している限り気にもならないであろう行動を読み解けたのは、然るべき内面が在ったからか。シンパシー、トレース、……自己投影。別れ間際の表情には、そんな意味があったのだ。
 それに成る程、考えてみれば――政治家の息子――世間体が重要だろう渡砂の家庭では、あの自殺法の成功率は高いかもしれない。息子が自殺したなんてマスコミに叩かれたら、仕事がなくなってしまいかねないのだから。逆に殺されたのであれば、同情を誘って支持を集めることも不可能では無いだろう。そこまでやるかは疑問を残すとして、少なくとも非難の目を最低限避けようと――ご両親がそう言う選択をするであろう確率は、一般家庭よりはずっと高いに違いない。
 つくづく何もかもが用意済み。
 崖の端と言うよりは蟻地獄か。
 冷え切ったお茶を、飲みきった。酷くぬるい、違和感のような喉越し。湯飲みを戻して、ピアノを奏でるように机を撫でる。指先で、とんとんと。拍手するまでも無い、演奏者と観客が同着のフィナーレ……違うな。
 渡砂瀬々斗と言う絵画は、これで完成された。少なくとも、僕にとっては。
 だから。
 お疲れ様だ、渡砂。
「きーきの方は、何か無い?」
「ん? 何かって、何が?」
「あたしがせーせに自殺法を教えちゃったこととか、せーせがその自殺方法をきーきより先に実行しちゃったこととか。恨み言とかつらみ言とか、あるんじゃない?」
「つらみ言ね……」
 確かに、同じ方法で死ぬ事はできなくなった。全く同様な手法は勿論のこと、似たようなものでさえしばらくは使えない。渡砂の狙いを邪魔することにもなるし、自分の方法も上手くは響かないのだから。もしかしたら、卯生はそこまで考えていたのかもしれない……遠まわしに、僕の自殺を止めようと。考えていなくても、今思い至ったのだろう。
 協力をすると言っておきながらの、この結果に。
 機嫌を損ねたかもしれないと感じた、のだろう。
 僕はしかし、ゆるりと答えた。
「……まぁ、いいよ。もう一つ他にも、自殺方法を思いついてたからさ。全部台無しってわけじゃない」
「もう一つ……。なになに?」
「身を乗り出すなよ……」
「はい、うーうちゃんが誤解されるコト言わない! それで?」
「ああ。言わない」
 当たり前だ。
 いや、うーうちゃんが誤解されるようなことじゃない方で。
「んー……、そっか。まぁ、当然だよね」
「うん」
「きーきの自殺協力契約も、ここまで――だね」
 そう言って、卯生はまた、微笑みを浮かべた。色々と吹っ切れたような、後ろめたさを感じさせない笑顔だった。それでも、ただ……以前の爽快な笑顔よりは、少しだけ暗い。気にならない程度に。
 特に何か違反があったわけではないけれど、それが自然である様に、契約は破綻した。気を利かせて言うならば、契約の方から勝手に自殺したようなものだった。
 仕方がないね。
「……九年前さー」
「ん。唐突に話が飛ぶな……。小二の時の話か」
「うん、そう。付き合ってたのは一年未満だったっけ。ね、どっちが告ってどっちが振ったか、覚えてる?」
 卯生から告白してきて僕から振った。
「覚えてないな」
「あっそ」
「そもそも、そんな事実すら忘れてたのに、覚えてるわけないだろ?」
「あたしは覚えてるけれどね。あはは。ま、そうだよねぇ」
 少しの間を置いて。
 机越しに目線が合う。
 予感がしたけど無視をした。
「きーき、さ」
「何?」
「邪魔者も居なくなったことだし、付き合っちゃおうか?」
「…………」
「お似合いだよ、あたし達」
「…………」
「あたしは好きだよ。きーきのこと」
 卯生の顔に、偽りは無い。
 可愛く、美しく、可愛い。
 保呂羽卯生。
 成績優秀であり品行方正であり容姿端麗であり明朗快活であり幼馴染ですらあり、しかし、まかり間違っても僕の恋人なんかではなくお互いの片想いすら望むべくもなく、なのに、お互いにデートどころか付き合ったことがあって告白をし合った事すらある、クラスメイトの女子。
「…………」
 僕は、コイツみたいに爽やかに。
「…………よせよ」
 僕は、コイツみたいに爽やかな笑顔を、したくて。
「お前と僕とじゃ、釣り合わないさ」
 僕は、コイツみたいに爽やかな笑顔をしながら、断った。
「……二回目だね」
 卯生は、僕みたいな笑顔でそう応じた。
「良い顔できるじゃん。いつもそうやって笑ってたら、きーきってばモテるよ」
「やめてくれ。もういいんだよ、そーゆーのは」
「そですか」
 最後に失笑をして、それから。
 やっと、会計を済ませた。
 なんとここで卯生の所持金が足りなかった、なんてことがあったら面白かったがそんなことはなく、きっちりと全額奢られる。いいところなし。色めいたことへ進展することも――冗談程度には(冗談だよな?)話に出たが、実際にそんなことは――勿論なく。雑談と談笑を順に繰り返して、家路についた。一応女の子と言うことで、卯生の家まで送っていった。
 じゃーね。
 またな。
 お決まりの文句も忘れずに。
 踵を返して、夜を感じながら帰宅。
 今日一日、何を話したかなんて、覚えようともしていない。

 それでも掛け替えのない日だったように思う。






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