・水彩度


   一頁目


 自殺を考えない人間は居ない。
 何故ならそれは、『死』もしくは『生』の概念に触れたとき、あるいは『自身』と『他者』の隔絶を解したとき、最初かその次くらいには思いつくであろう発想だからだ。様々な宗教に於いて、自殺に対する注釈があると言うことから、人類が智慧と思考を獲得した時――宗教と言う伏線を回収するべく、洒落てみるのならば、つまり――禁断の赤い果実を口にした時から、存在する発想なのだろう。
 その次に考えるのは、それを実行するか否かだ。
 赤い絵の具を水に溶かし、僕は紙に線を引いた。



二週間前。

 今日最後の授業が終わったので、僕はルーズリーフを綺麗に四つ折し、席を立って、ゴミ箱へ捨てた。捨てたものは誰のものでもないのだから、誰が拾っても構わない――なんて理屈は、最低の屁理屈だ。しかし、その屁理屈をいとも簡単に体現する奴も、世の中に居る。
「なぁに、これ」
 成績優秀であり品行方正であり容姿端麗であり明朗快活であり幼馴染ですらあり、しかし、まかり間違っても僕の恋人なんかではなくお互いの片想いすら望むべくもない、クラスメイトの女子。
 保呂羽卯生(ほろば うう)。
 彼女が折りたたまれたルーズリーフを開くその前に、迅速にその後頭部へ手刀を振り下ろす。
「あいた」
「教えてやるから後にしろ」
 そして今は責務をこなせ、掃除当番。
 どうせ何を言って誤魔化しても、コイツは了承しない。物心ついた頃から知っている間柄だ。幸い他の人間は、コイツがルーズリーフを拾ったことに気付いていない。僕の取った行動は、最善と言えただろう。
「……うぃ」
 後にしろ、と言うのは、放課後どうせ人の来ないであろう屋上で待っている、と言う事。卯生はそこまで理解した上で、今は何も言わず、ルーズリーフをくしゃりと握りこんで、掃除を始めてくれた。
 てめぇ、折角綺麗に折りたたんだのに。


*   *   *


 この学校には天文台がある。しかし大概の場合、天文部しか使わない。そして逆に言えば、屋上にあるものといえば天文台くらいのもので、天文部の活動のない今日は、人が寄り付きもしないのだ。元々あまり真面目に活動している部活だとは、言えないだろうし。
 卯生はその大して真面目な活動をしていない天文部員であり、そして屋上の鍵をもっている数少ない生徒である。彼女の鞄から勝手に鍵を拝借し、屋上で僕は待っていた。天文台の中には入らず、間の階段に腰掛けて、空を眺めている。
 屋上の鍵を借りることは茶飯事だから、このことに問題は無い。
 問題は、と言うより面倒なのは、アイツが拾ったルーズリーフだ。
「お待たせー。いや、小学生でもないのに掃除当番とか、結構凹むよね。机移動が無いだけましだけどさ」
 ひらひらと手を振って、爽やか笑顔で参上する卯生。ショートの髪が、活発な印象を促進する。容姿の通りに健康的なコイツは、人受けも良い。
 失礼ではない程度に、こちらも笑顔で応じる。
「相変わらずしみったれた顔してるねぇ」
「…………」
 親しき仲でも、と言う言葉をコイツは知らないようだ。
 あくまで、親しき仲は親しき仲なのだろう。
「挨拶代わりのように、軽口を叩くな。仲が良いと思われたら困るだろ?」
「ええー、そりゃないですよ! あたしら、幼馴染じゃん。一緒に風呂だって入ったじゃん」
「だからイコール仲が良い事にはならんだろ。記憶にも残ってない話をするな」
「哲学的ぃー」
 そう言って卯生は、よいしょっと隣へ座り、ポケットからくしゃくしゃになったルーズリーフを取り出した。ぴんぴんと皺を伸ばし、中身を読もうとする。僕は今更止めはしない。
「それで。ふむ。水梳君は一体全体何を書いていたのだね」
 水梳軌跡(みずとき きせき)。
 それが僕の名前だった。
「てか、その口調は何キャラのつもりだ」
「何様……え? 何キャラ?」
「言ってみてなんだが、大分印象が変わるな……」
「ご愁傷キャラです」
「どれだけ痛いキャラなんだ、それ」
 オチがついたところで、双方仕切り直して。
「それで、きーきは何を書いていたのかな」
「ま、見てもらえばわかると思うけど」
 と、普段どおりの会話を始める。
 猿の鳴き声みたいなそのニックネームは、正直な話僕としてはあまり好きでは無いのだが、そこはそれ。とうの昔に諦めと折り合いをつけた突っ込みどころだ。対抗して、『うーたん』とこちらから呼んでみた事はあったが、何それオランウータンみたいで嫌だよやめて、と言う突っ込みもさることながら、大層痛い響きだったので流行らなかった。ご愁傷キャラだ。
「首吊り……バツ。リストカット……サンカク。飛び降り……バツ。線路飛び込み……ん、バツ……。交通事故バツバツ、いっそ電柱に頭を打ち付けてバツ。……なにこれ? 小説でも書くの?」
「んにゃ、自殺プラン。僕のね」
「…………」
 ちょっと、言葉を失った様子の、保呂羽卯生。怪訝そうな顔をする。
 しかし、次の瞬間には笑みを……つまりは自分を取り戻したらしい辺り、流石だ。
「へへ、何のジョーク?」
「割と本気」
「ふぅん……何で自殺するの?」
 フラットな表情で訊いてくる。しかしこちらが返答する前に、思い至ったように続けた。
「あ。……それって、私がこの間、君を振っちゃったから?」
 ちょっとすまなさそうな顔をして、そんな事を言ってきやがる。全く、あれは壮絶な振られ具合だったからな。好きですという僕の言葉に対して……
 あはははは、何それギャグですか、冗談ですか、それにしてももう少し気の利かせ方があるんじゃないですか、ところで釣鐘に提灯って言葉を知ってる、釣り合いが取れないって意味なんだけれど、正にこの状況にピッタリじゃない、なんだか惨めね、藁にも縋る思い、高嶺の花、ごめんね、あたし彼氏いますからー。
 と言うのが、卯生の振り文句だった。散々だ。しかも、それを目撃していた人間が少なからずいたと言うのだから、泣き面に蜂でも足りないくらいだ。噂は火急の如く広まり、惜しまれる事無く尾ひれが付いた。だが、しかし。
「違うね」
「それじゃぁ、前回返却された中間試験の結果で、やたら得意にしていた生物の点数が、二十六点と言う悲惨なものだったから?」
 生物は僕の得意科目だ。なぜかは知らないが、やたら簡単なのだ。教科書を一度読んでおけば、九割はかたい。2・3度読み通せば、間違いなく満点が取れるだろう。自慢にしたつもりは無いけれど、周囲の人間はその事を知っている。だから、僕が今回の中間で取った二十六点と言う点数は、思いの他簡単に広まった。真面目に勉強するよりも、よっぽど手間隙かけてそれらしい間違え方を研究したので、努力が報われた感じだ。
「いや。あれはわざとだな。アミロースとアミラーゼを間違える奴なんて、本当にこの世にいるのかよ?」
「うーん……なら、あれか。校門の前で、エロ本を数冊ぶちまけちゃった事件」
 あれは確かに、やっていて随分恥ずかしいものがあった。まず購入で難関その一。なるべくマニアックそうなのを三冊と、広く受けそうなものを二冊購入。両親にばれないように難関その二。そして最後にして最大の難関は、いかに不自然じゃなく、人の多い時間帯に校門の前で躓くかだ。やり遂げた僕は、不必要になったそれら雑誌を、きちんと分別して処分した。
「それもNo! エロ本を購入する趣味は、そもそも持ってない。家宅捜査にも笑顔で二の返事。応じてやるさ」
「なら、何が理由? それに、なんでそんな事したのよ?」
 思い当たる理由が他に無くなったのか、唇を尖らせて、再度彼女は訊いてくる。その返答は、どちらに対しても一言だ。取り付く島も無いくらいの、簡潔な、完結している一言。
「自殺がしたいから」
「んー……、あそう」
 思うところがあったようだけれど、結局反応は簡単なものだった。僕は続ける。
「実質実際、自殺に理由は必要無いと思うよ。他人を殺すのだとしたら、それは他の人間――第一に殺された相手へ、第二に遺族へ、第三にそれこそ第三者への言い訳が必要かもしれない。けれど自殺なんて、最低限自身が納得出来ていれば、それで十分なんじゃないかな。突っ込み入れられたとしても、死んでしまったら釈明なんて出来ないんだし」
「今現在あたしが突っ込み入れてるじゃんか」
「まーね。けれどしてみたいものは仕方が無い。その方法を考えてたんだよ」
「うーん。突っ込み入れたくはあるけれど、理解できないことはないかな。…………」
 少し、卯生は考えるようにする。同じ年代、同じ社会に生きている若者同士、決して理解できない感覚ではないだろうと思う。誰だって、自分が死んでしまったら……、他人を殺してしまったら……、等と思いを馳せてみた事があるだろう。何の脈絡も無く、ふとした思い付きのように。
 自殺を、してみたい。あるいは、人を殺してみたい。
 それは勿論いけないことだ。禁忌だ。禁止事項だ。厳罰だ。処罰対象だ。だから、実行には起こさない。現実にしない。ある程度の常識と教養、並びに周囲の理解さえあれば、それが自殺や殺人に対する妄想の終着地点で……それゆえ頻発することは無い、と言うだけに過ぎない。
 しかし、『だから』実行に移す。と言う考え方だって、否定されるべきじゃない。歴史を見れば、『困難である』ことそのものが理由となって何かが成されるだなんて、しょっちゅうあることだ。大きく出てみたが、歴史をそれほど知っているわけではないので、今の一文はただの予測だ。予測できるくらいには、在りうることだ。
「人一人の生命を終らせるのって、けっこー手間かかるからね。事後処理も大変だし。あ」
「ん、どうした?」
「自殺の『理由付け』、ってことか。告白だとか、酷い点数だとか、エロ本だとか」
 気付いて貰えて、手間が省けた。
「その通りだな。遺言の内容として適当なもの、でもいいか。幸い僕は、いじめにあってないもので、理由は作っておかなくちゃいけない。僕の死後、『はぁ、真面目な子でねぇ、何でこんな事になったんだか……』と意見が被るのも詰まらないだろ? マイクを向けられるであろう知り合い連中のために、僕は気を配っているのさ」
「ひっどいなー、きーきってば。それってあたし、君が死んだ理由になりかねないじゃん」
 快活に笑う。一つの滑稽なお話であるか、のように。
 いい神経をした幼馴染だ。こちらのして欲しいリアクションをしてくれる。
「って言うか、あたしにオーケー出されちゃったらどーするつもりだったの、それ」
「それは無いだろ。例え卯生に彼氏が居なかったとして、僕からの告白に応じるお前じゃない」
「まーね。告白されるくらいだったら、こっちからするよ」
「だろ」
 結果オーライだったと言えなくもない。試みの内の一つで、例え振られなくても別に構わなかった。恋愛での失敗と言うのは、自殺の理由として適当だと思っただけだ。
 そう言う意味で、最善の対応をしてくれた。本当にいい神経をした幼馴染である。
 まぁコイツの知らないところでも、『失敗』に見せかけた失態は、いくつもやらかしている。涼しい顔をして歩けないくらいには。意図してやった事でなければ、それこそ死んでしまいたくなるだろう。穴があったら入りたい、おあつらえ向きにそこら中が墓穴だらけ、と言った感じだ。『理由』代用はいくらでも利くのである。
「確かに、割と本気なんだね」
「そう言っただろ」
 卯生はしげしげとルーズリーフを再度眺めて、それから訊いてくる。
「方法吟味中ですか。吟味の基準は?」
「迷惑をかけないように、面倒くさくないように、それと絵に描いたように」
「迷惑をかけないように?」
「人身事故とか、飛び降りとか、迷惑がかかるじゃないか。後の処理やら家族やら。さっきも言ったとおり、どうせ自殺をするのなら、アフターケアも万全にしたい。特に両親に対して、僕は本当に感謝しているんだぜ。この歳まで育ててくれたこと、学費を出してくれてること、好きに生きさせてくれていること。これ以上迷惑をかけると言うのは、心苦しくてね」
「自殺がすでに迷惑だよー」
 白々しく言葉を並べる僕に、いい笑顔で突っ込み。そりゃそうだ。
「だからこそ、なるべく迷惑のかからない方法を選びたいのさ。放蕩息子の最期のわがまま、そして最期の気遣いだ」
「いらねぇー。んで、面倒くさいのはいや、と」
「それは二の次かな。怠惰な若者だから、基準に勝手に入ってきちゃうんだ」
「なーる」
 ふむふむ、と相槌を打つ卯生。フラットな調子で会話をしてくれるので、こちらとしても対応がしやすい。幼馴染と言うのは、こういうときに重宝するな。露見したのがコイツで助かったと言うものだ。露見しないのが最良だったのは、言うまでもないということだが……世の中、不幸中の幸いがデフォルトだろう。
「絵に描いたように、ってのは?」
「みっともない死に方は嫌だろ」
「あ、そういう意味」
 どうせなら、綺麗に。
 余裕ある自殺者なら、誰でも考えるはずのこと。いや、余裕ある人間が自殺を選択するのかどうか議論を生みそうではあるが、存在するとして、間違いなく少数派だろう。少数派でいると言うのは、案外気分の良いものだったりするのだ。
 批判してくる多数派がいなければ、だが。
「それにしても。……そっかー……、きーき、死んじゃうのかー」
 うーん、と。両手の指を絡めて伸びをしながら、感慨深そうに、卯生は言う。
「止めたりしないんだな」
「止めて欲しい?」
「いや」
 即答だった。感情や思考を間に挟むまでもなく、それは明確な意見だ。
「だよねぇー。そうだろうと思ったからこそ、止めないんだよ」
「良く僕を理解してくれている。助かるね」
 少しため息を吐いて、明るいまま、しかしちょっと悲しそうに、彼女は続けた。
「きーきは昔から、決めたらそれを撤回しない子だったよ。もちろん、いなくなっちゃうのは悲しいけどさ。きーきの気持ちもわかっちゃうし、きーきの対応もわかっちゃうあたしは、きーきの自殺を止める資格も権利もないと思うんだよ。そして君がこの意見に納得しちゃうのも、わかってる」
「うん。それなら、僕の次に望むこともわかるわけだな」
「誰にも言わないでくれ、でしょう」
「ビンゴ。その通り」
「聞き入れましょう。誰にも言わない」
「条件は?」
「んーとねー」
 誰もが羨む、ビジネスライクな幼馴染。ギヴ・アンド・テイクで、僕らの関係は成り立っている。非常にわかりやすく、非常にやりやすい。まったく。本当に楽な相手だ。省エネなことこの上ない。
「ななちゃんには言っちゃうよ」
「げぇー。おいおい、それは勘弁してくれよ」
 前言撤回。一番面倒くさいところを突付いて来やがった。
 他の人間なら、こうも的確に弱点をついてはこないだろう。
「しーなーいー。ななちゃんなら、まず間違いなくきーきを止めようとするだろうね! それを君は回避しきれるか! 泣いている女の子を前にしたきーきの運命やいかに!」
「自分でできないからって、他人に役目を押し付けやがった! しかも楽しんでやがる!」
「代わりに、あたしからは止めもしないし、それ以外の人には黙っていてあげるって言ってるでしょー。正当な代価だと思うけれどなぁ」
「悪魔の取引だ」
「まんまじゃん」
 代償は魂で、約束は破らない。
 うーむ、言いえて微妙なラインだ。
「さって。そういうわけなら、あたしも協力するよ」
 くっと立ち上がって、階段の段の上で方向を変えるという、ちょっと難易度の高い日常動作をやってのけた上で、僕の顔を正面から見る。
 保呂羽卯生。可愛くなりやがったコイツを正面から見つめるのは、なかなか度胸のいる行為だ。
「何に?」
「きーきの自殺方法、一緒に考えてあげる」
 いらんお世話だった。
 が、これは即答で断れなかった。

 後から考えるに、断っておくべきだったのだろう。



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一週間と六日前。

 次の放課後は、喫茶店で待ち合わせしてみた。一緒に歩いているのを見られると面倒くさい(卯生は彼氏がいる上人気者だし、僕は度重なる失態で注目の的だ)ので、時間差をつけて下校し、しかも学校から少し離れたところの喫茶店で集合だ。
 卯生はラテを注文し、僕はブレンドコーヒーを注文した。ラテとオレはどう違うのとか、他愛の無い会話を経て、本題へ入った。
「これ見てて思ったんだけどさ」
 くしゃくしゃ度合いの増したルーズリーフを取り出す。
 まだ持っていたのか。
「マルが無いよね」
「あったらストーリーが終るだろうが」
 妥当すぎるボケツッコミだな。
「サンカクがあるよね。リストカット……か」
「楽だしね。風呂場でやれば迷惑も少ない」
「けれど詰まらない?」
「そうそう」
 ラテをずずずと啜りながら、卯生は頷く。僕はあの後気付いた、判断基準の補強について話した。
「昨日挙げた基準の内の、どれにも入るかもしれないんだけどさ。やっぱり、確実さと言うのは外せないよな」
「……ん。確実さ……死に損ねないってこと?」
「そうだね。死に損ねるのは他人にも迷惑がかかるし、無様だし、何より面倒臭い。そうは言っても、ある程度練習すれば、どの死に方も成功率は上がると思うけれどね」
「自殺の練習かぁ」
 響きが面白かったのか、卯生は笑う。確かに滑稽な話だけど、物事を達成するためには、試行錯誤、努力と繰り返しが必要だと思う。何事にも。
 ブレンドコーヒーに砂糖を入れて、僕は口にした。熱いっつーの。
「既出の案から、順に検討していってもいいかな?」
「かまわんが」
「じゃぁ、最初……首吊り! これちょっと浪漫じゃない?」
「首吊りはなー。ぱっと見、絵的には悪くないんだが……。舞台設置が面倒なんだよ。人一人がぶら下がれる場所……途中で見つかると気まずいし……それでいて発見されなきゃ切ないし、さらにありがちなだけ、演出を工夫する必要がある。しかも、聞いた話ではさ……あれ」
「どれ?」
「肛門やらが弛緩して出るあれさ。ぶらたれてる上に、あれもぶらぶらぶちまけじゃ格好悪いだろ。それにしたって、絶食やら、何か詰めるやら、あるんだろうけれどね……そう言う前準備すら格好悪い気がするぜ」
 卯生は目線を上にやった後、成る程と言った。想像しない方が良いとは思うが。
「次はリストカット。これはさっき聞いたね」
「加えるなら、これもありがちだしな。今日日、手首の傷なんて無い方がおかしいぜ」
「こらこら、世界観が誤解されるようなコトいーうーなー。はは、でも確かに、いかにもこーこーせーだよね。なら次、飛び降り自殺ー」
「ありがちだね」
「ありがちですね」
 それに尽きる。
「厳密に言えば、場所探しが面倒だとか柵を超えるのが面倒だとか後の処理が面倒だとか、迷惑だとか、本当に死ねるのかとかあるわけだが……飛び降りって言うのが今時流行らないよな。自殺じゃなくて他殺ならまだしもさ」
「それでもありがちじゃん? 学校の七不思議になっちゃうよ。線路飛び込みは? これ、一度マルを消してバツにしてあるみたいなんだけど」
「ちょっといいのを思いついたんだが、やめた」
「なになに?」
「目を輝かせるなよ……」
「うーうちゃんが誤解されるようなコトいーうーなー」
 実際はかなりおざなりな相槌だった。説明する気が削がれるじゃねぇかよ。
 まぁ、順を追って話してやろう。
「あー。人身事故って、電車が遅れるじゃないか。あれって何だと思う?」
「死体回収するからでしょ。線路の掃除もするのかな。最悪1時間くらい遅れるよねー」
「第一問、一番手っ取り早く電車が復旧する場合を述べよ」
「はぁ?」
 卯生は首を傾げる。回答を待たず、続ける。
「第二問、逆に最も復旧に最も時間がかかる場合は?」
「えー。って言うかあたしが回答するのを求めてない問いだよねぇ、それ?」
「ま、そうだ」
「さっさと模範解答を示しなさい」
「あいよ。手っ取り早いのは、飛び込んだ奴が死んでいて、且つ線路の外側に飛ばされてる場合だな」
「なーる。直接線路上で回収作業しなくてもいいから、電車自体はさっさと動かせるんだ」
「そ。逆に時間がかかるのは、バラバラ死体だったり……線路へ落ちて、しかも生きていたりする場合だ。下手に生きてるもんだから、殺さないように回収しなくちゃいけないんで、慎重さが必要になる」
「あー。しかもそれ、飛び込んだ人は散々だよね。五体満足ではいられないだろうし、何の保証ももらえないだろうし……惨めだわー。……で、それがどう繋がるの?」
「この話を聞いた時に僕が思ったのは、電車に轢かれても死なない場合があるんだな、ってことだよ。あれだけの質量に衝突して、死なないのはあんまりだ。さて、ここで考えてみる。線路へ飛び込んでおきながら、電車に轢かれておきながら、どう言う場合に死なないか――そして、逆にどう言う場合に死ぬか」
 一端言葉を切って、コーヒーをかき混ぜる。少しは冷えたかな。
「普通に、当たり所が悪いんだよね。腕だとか、肩が当たって、衝撃を吸収しちゃうんだ」
「そうだろうね。と言うことは、急所へ確実に命中させれば……電車の質量、速度、それらでほぼ確実に、死なせてくれるはず」
「急所って言うと」
 卯生は自らのこめかみを人差し指で示す。
「うん。そこさえ――そこだけが電車に命中すれば、問題無い。僕が考えたのは、黄色い線の後ろから飛び込み自殺、って言う奴さ」
「はは、黄色い線の後ろに下がって……ちゅーことね」
「ちょっと面白いだろ。正確には倒れこみ自殺になるのかな。慎重に吟味すれば、綺麗に頭だけ轢いてもらえる。首が飛ぶか、皮一枚繋がるか、それはわからないけれど――まぁ、まず死ぬだろう。しかも一瞬で」
「線の後ろ側に下がっておきながら、死ぬわけ。やるとしてー、吟味にどれくらいかかるかな?」
「三日かけたいね。まず電車の吟味、時間帯の吟味、そして倒れこむ距離の吟味。どれも同じくらい重要だ」
「メジャー持って測るの? 注目されないかなー」
「自分の歩幅使えばいいだろ。部屋の中ででも練習して、後は歩くだけ。簡単な話だ」
「なーる。何でバツにしたの?」
 大分飲みやすくなったコーヒーを、一口分口に含む。
「やっぱり電車は止まるだろ。それは迷惑だし……飛び込み自殺もありきたりだ。もう一超え欲しかったんだよね。で、思いつかなかったから、バツ」
「あそ。ここまで来ると、交通事故は確かにバツバツだね」
「死ねるかどうかがまず怪しいからな。向こうが避けてしまったら、どうしようもない。人を轢きたがっている人間に運良く当たればいいが、宝くじみたいなものだよな」
「そこで宝くじに例えるんだ……」
 前後(通行人)賞大当たりです。
 不謹慎な話だ。
「電信柱に頭を打ち付けてバツ」
「ネタがなくなってきちゃってね。絵的には面白いが、途中でめげそうだ。やり遂げるには、何かしらのクスリが必要になってくるだろう」
「見てみたいけれどねぇ……いや、見たくないか。で、とりあえず終りか」
 昨日思いついたのはそれだけだった。我ながら、想像力に乏しいものだ。絵的に面白かったり、ぶっ飛んだ案はいくつか思いついたが、実行に移せるかと言うと怪しいものばかりだった。迷惑をかけず確実に、そして絵に描いたように死ぬ。これが中々難しい。
「土台、死ぬこと自体が迷惑な話だからねー」
 言いながら卯生は、ルーズリーフを脇に置き、残り少なくなったラテのカップをくるくる回す。
「ん? 何で死ぬことは迷惑なの?」
「考える前に疑問を口にするなよ。それは……」
 コーヒーを飲み干し……おっと、砂糖が溶けきってなかったか、甘い……、カップを戻す。
「周囲が予想してないからだろ」
「一昨日のような昨日があって、昨日のような今日が過ぎて、今日のような明日が来て、そんな一週間が続いて、一ヶ月、一学期、一年、で、成長していくあたしたち――ってことか。誰だって、突然死んじゃうかもしれないのにね。変なの。白樺君、覚えてる?」
「中学の頃の同級生、白血病で亡くなった奴。葬式にも出たな。背ぇ高くて、サッカーが好きだったはずだ。覚えてるよ」
 亡くなったと聞いた時の、妙な違和感を思い出す。
「妙な違和感。あるいは喪失感か。だけど、白樺君には悪いが、他人にとってはその程度――時間が経っちまえば、そんなものだろ。勿論、遺族の方々や親友の奴等にとってはそんな事無いのかもしれないが……」
 しれない、が。驚くほどに、僕の決心は揺らがない。それがなんだって言うんだろう?
 変わらず世界は回り、周りの世界は変わらずだ。
「迷惑、って言うのは……そうだな。人生を道に例えてみよう」
「おおう、またもやありがちーな比喩だねぇ」
「ありがちだが、それゆえに比喩として優れてる。人生をカプチーノの泡を掬い取ったスプーンに例えてみよう、とか言われても困るだろが」
「それはそれで一つのお話が始まりそうだけど。で?」
「その上を僕らは歩いているわけだ。ただし、目隠しでね。しかも後ろから常に、圧力を感じつづけてる。横スクロール式のゲーム画面みたいに……タイムリミットが差し迫ってるって感じかな」
「ふぅん。そうすると、おぼつかない足取りながらも、急がなきゃいけないわけね」
「誰しもがそう。だとすると、頼りになるのは今まで歩いてきた足取り――一歩一歩踏み出してきた、歩行の感触だけになるのさ」
 ああ、と。卯生は得心言ったような顔をした。カップをくるくる回し続けていた手を止める。
「サイクル。昨日から今日明日へ続く、一歩一歩。今まで一歩進んできたように、私たちはもう一歩を進めているから……そこに、少しの違和感や、ちょっとの異常があると、途惑っちゃうんだね。踏みしめた大地の感触が違うだけで、転びそうになっちゃう」
「僕らの周囲では、人間が当たり前に生きている。今日隣に居た人間は、明日も隣に居るもんだろ。そうやって世界が回って、その感触を頼りに僕らは歩き続けている。だから――知人の死は異常であり、不確かな足場であり、蹴つまづきそうな迷惑な石ころ――と言うわけだ」
「戦時中とか、今戦時中の国とかでは、また違う感覚なのかなぁ」
「迷惑云々の前に、自分の命を守るのに必死だろう」
 そんな中、僕は自殺を考えている。けれど、それが命をないがしろにしている事だろうか? 戦時中やら、発展途上国では、常に物資が足りていない。それを先進国が食いつぶしている。僕が一人死ねば、その分物資に余裕が出来て、生きたい人たちへ回すことが出来るのではないか。そう考えてみれば、僕がやろうとしているのは愚かしい行為ではなく、他者を救うための誉められるべき自己犠牲なのかもしれない。
 と、そんな事を言ってみた。
「んなわけないじゃん」
 失笑した後、ラテを飲み干して卯生が続ける。
「単純な足し算引き算で言えば、あたしたちがちゃんと生きて、発展途上国の人々を救ったり、戦争をやめさせたりする方法や発明を考えた方が、ずっとたくさんの人を救えるよ。そうじゃなくても、ちゃんと稼いで募金すれば良いだけの話じゃん」
「反論の余地も無いな」
 その程度の事、しっかりわかっている。僕は余裕ある自殺者だ。
 それらの言葉の連なりが口先だけである事も、わかっている。
「…………」
「……んー……」
 お互い飲み物も飲み干して、良いアイデアも出ず、無言のまま時間が過ぎる。たまにうめき声を上げるくらいだ。うーとかんーとかむーとかにぬーとか。三人寄れば文殊の智慧と言うが、文殊様は自殺のアイデアなんか出してくれないだろうし、そもそも三人には一人足りない。もう一人増やすわけにもいかないしな。
 半ばぼうっとしていた所で、卯生が溜息のように言葉を漏らした。
「あたしも死んじゃおうかな」
「……、はぁ?」
 思わず呆れたような声になる。最初は自殺法かと思ったが、そうではないらしい。言葉だけの意味。しかし、脈絡が在るような、無いような、判断に困る発言だった。と言うか対応に困る。普段からいつでも元気ハツラツムスメが、死んじゃおうなどと、似合わない。顔を覗き込むと、微妙な表情をしていた。笑顔ではなく、笑おうとしている顔。笑えない。
「何をいきなり」
「うーん。最近さぁ……せーせと上手く行ってないんだよねー」
「渡砂と?」
 渡砂瀬々斗(わたりずな せせと)。
 保呂羽卯生の彼氏――つまりは恋人であり、学校は同じで、クラスは違う。僕らはC組で、渡砂はA組だ。ランクでクラス分けされているわけでは無いので、これは向かいに位置したクラスではないという意味しか持たない。
 渡砂は卯生と釣り合っている人間だと、他人からは評価できる。釣鐘と提灯ではないわけだ。勉強も出来るらしいし、運動でも他人に引けを取らない。何より顔の造形と体形が良い。運動で言うのなら、他人に引けを取らないどころか、スポーツしている姿がパフォーマンスになるほどだ。下手をすると女子がキャーキャー言いそう(実際にそんな事は無い。それが起こるのは、漫画の世界くらいだ)なくらい、格好良い。そして父親が政治家だ。セージカと言うと鹿の一種みたいだが……そんなジョークは負け惜しみも良い所だろう。つまり、お家柄も悪くないわけだ。
 さて、そんな渡砂との関係が――言うなれば恋人関係が、上手く行ってないらしい。
「うん。上手く行ってないんだー」
 にへへ、とわざとらしく笑顔を作って、卯生が言う。
「その程度で死のうとするなよ」
「すっげぇ白々しい台詞を真顔で言わないでよ」
「わざとらしい笑顔で台詞を言われるよりましだぜ」
「…………」
「幼馴染だろうが」
 卯生は、笑顔を消した。目線を泳がせ、口先を尖らせたままで話し始める。
「せーせってば、あたしのことを必要だって、言うんだよね。俺にはお前の存在が必要だって。綺麗な関係じゃない。言外に、俺を支えてくれって言ってるのがありありとわかる言い方だった。枕になってくれって言うか、もっと悪く言えば、踏み台にさせてくれって言うか。おとーさんのこととか、理想に届かない成績とか、自分の進路とか、色々悩んでるらしいけれどさ……。それは、悩んでるのわかるよ? 出来ることなら力になってあげたいとも、思うけれど。そんな風に一方的に必要にされても、あたしとしては困るんだ……助けアイとか頼りアイって言うより、もたれアイって言うか……。こっちはそんなカンケー、求めてない」
 支離滅裂だぜ。
 幼馴染のよしみ、解決できる問題だったら解決してやりたいところだが……いかんせん、僕には経験不足だ。何でこんな話になったんだろうなーと思いつつ、長々として、だらだらとした、愚痴のような話を延々と聞き続ける。その後、いい加減良いだろうと言う所で、僕は口を開いた。
「いや、けどさ。彼女居ない暦イコール年齢の僕としては、その悩みを解決出来ないんじゃないかと思う」
「嘘」
「おぅ? え、倦怠期とかじゃ? えっと、無理だって」
「ううん。彼女居ない暦イコール年齢じゃないっしょ」
「は?」
 ちょっとムキになったように、卯生が訂正した。ちょっと待て……何を言い出すんだ。知らない間に僕に彼女が出来ていたのか? 脳内彼女か? そこまで病んでないぞ? あるいは記憶喪失か? 僕ってそんな美味しい役どころだったか?
 ハテナマークが頭上に浮かびまくる僕に、コイツは言う。
「付き合ってるじゃん。一度。あたしと」
「……ああ。って、おい。小二だぜ!? 数に入れるのか!?」
「入れるもん」
「もんじゃねぇよ。それにしたってお前……七・八歳……? 九年も前じゃねぇかよ」
「あたしは覚えてるからねー。ファーストキス奪ってったじゃーん。ちゅっちゅって」
「ちゅっちゅ、でもねぇよ! 高校生になってそんな恥ずかしいオノマトペはねぇよ! ってかファーストだったのか……僕のファーストはお母さんとだぜ……?」
「きーきってドーテー? だよね?」
「どさくさにまぎれて何を聞いてやがる。しかも念を押すな! そうだよ、察しろ!」
 畜生。てめぇはどうなんだ、てめぇは。
「あたしも処女だし」
 処女なんですか!? 潔白ですか!
「何ならあげよーか。童貞のまま自殺しちゃうのも、処女のまま死んじゃうのも、負け犬っぽくって嫌だもんね……」
 しかもくれるのか!? 自殺を選んで良かったよ!
 ふっとか、悟った女の目で俯き勝ちにこっち見てるよ!
 幼馴染ルートにこんなドッキリが!? 落ち着け! 絶対オチが付く!
「ま、嘘だけどね」
「やっぱりな!」
「せーせにもうあげちゃったよー」
「だろうと思ったぜ!」
 く、女に泣かされそうになってる! それこそ小学校以来だぜ!
「しかも、ナマで中出し経験もあるぜ」
「ちくしょー! ……って、おいおい。それはやばいんじゃないのか? ハラんだりしたらまずいだろ」
「うん。妊娠するかなーって思ったけれど、しなかった」
 舌を軽く出す卯生。
 ここまでオチが付くのか。
 お互い変なテンションから、回復しつつあった。
「ふーん……」
「勿論、この年齢で子供が欲しかったわけじゃないよ。デキちゃったら困ったとは思う。けれど、どうにかなったとも思うね。それを乗り越えられるくらいには、せーせを愛してるし。人生のスリルだよ。スパイスだよ。ギャンブル、かな」
「ギャンブルね」
 さっきの例に例えるのなら、今までに無い方向へ足を踏み出してみたかった、って感じか。
 わからないでもない。わからないでもなく、だからこそ。
「だからこそ、か」
「だからこそ、だね。踏みつけるような言い方されたのが、嫌でさー。綻びができちゃったら、脆いもんだね。そもそも、そう言うギャンブルに手を出しちゃってる時点で、あたしは――」
 保呂羽卯生は。
 ある意味、幼馴染以上に理解者だった。
「だから、止める資格や権利が無いとか、一緒に自殺案を考えるとか、言ったのか」
「かもね」
「言っておくが……」
 ちょっと大きめに息を吐いて、吸って。
「最初には死ぬなよ。てめぇ」
「あ、自殺する事自体は止めないんだ」
「こっちにこそ、止める資格も権利も無いだろ。理由も無い」
 死人に口なしだ。自分で言うのもなんだけれどね。
「けれど、考えろよ。考えて、考えろ。考えないで死ぬのは、惨めだ」
「――ん。あんがと」
 目を瞑って、噛み締めるようにはにかむように、僕の幼馴染兼共謀者は頷いた。
 僕は鞄を持って、席を立つ。
 悩んでいるうちに、あるいは雑談をしているうちに、結構な時間が経っていた。
「今日はこれで帰るか」
「明日はビブの日?」
「土曜だから、そうだな。ついでに掃除当番だ」
「じゃ、明日は言わないで置いてあげよう」
「……さんきゅ」
 誰にかは、訊くまでも無い。
 美術部員は二名しか居ないのだ。
 卯生も立ち上がったところで、ちょっと尋ねてみた。
「ん? 天文部の活動日は?」
「まんでーふらいでー」
「活動しろよ幽霊部員」
「『幽霊部』部員に言われとぉないですわ」
「は、自殺は僕らにお似合いだな」
 皮肉げにそう言って、喫茶店を後にした。
 あくまで日常の延長線上で、今日と同じように、明日も一歩を踏み出すのだろう。

 今のところは。






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