・ 泡吹き等の命ほらふきなどのいのいち

    第一幕◆子守唄のように。        

    第二幕◆溶け行き一つへ。   

    第三幕◆揺らがぬ鼓動と。

    第四幕◆螺旋なりし偶像。



     第一幕◆子守唄のように。 6


 日曜日に休んだ気分を味わえずとも、月曜日はやってくる。
 時間は誰に対しても平等だ。いや――唯一誰にでも平等に経過する外部的な要素を、時間と呼んでいるに過ぎない――のかもしれない。言うなれば最大公約数。
 時間。時。時鏡。
 時鏡は僕の苗字だ。
 時の鏡――なんて、随分とおかしな苗字だとは思う。成り立ちにはそれなりに複雑な経緯が在ったそうで、その昔は単に鏡家と言ったらしい。お家内での争いの結果、鏡家は二つの家系へ真っ二つに分かれ、一方が時鏡であると――そんな感じらしい。鏡と言えば、高校生としては『ダイ・コン・ミズ・マシ』――大鏡、今鏡、水鏡、増鏡と、歴史書としての意味合いも感じてしまう。受験知識だ。
 歴史だろうと家系だろうと苗字だろうと。
 今の僕自身にとっては、ほとんど関係のない話だけれども。
 なんにせよ、今日は月曜日だ。
「084でオハヨー、時鏡」
「よー、謡依」
「おはよう、閾、並尼さん」
「お、おはよう、時鏡君……」
「掌君も、おはようだね」
 集合もかけていないのに、朝から教室の片隅で会話を始める僕等。
 やる気満々だな、みんな。誤魔化すにしても、ちょっと心苦しいや。
「千々泡さんも、おはよう?」
「午前中の邂逅に対して日本語圏内に於いて一般的に用いられる挨拶言語を、自身に向けて発せられたと認識した。故にこれに応じて最も自然とされる動作を行うとする。すなわち、おはよう御座います」
 まっ平らな表情構成のまま、ちょこんとお辞儀。
「うん、おはよう」
「で、よ。親戚の人とは連絡取れたかよ。どんな按配だ?」
「連絡は取れたんだけどね。あまり情報は持ってないみたいだったんだ。ただ、近いうちに会って話をしてくれると約束してくれたよ」
「そうか。魔法みたいな解決は、やっぱねぇよな」
「あー、そーそー、時鏡ー。ウチ思いついたんだけどー」
 ずいずいと並尼さんが話に参加して来る。
「こんなのどーかな? えっとー、何か無茶やって、ケーサツにワザと捕まんの。で、ダチをマジいっしょけんめーに探してて無茶やっちまったーつって、同情とか誘っちゃって、キョーリョクしてもらうのとか。良くない?」
「まずいと思うんだが……。なあ、謡依?」
「補導されている時点で心象悪いしね。同情誘うのは難しいと思うよ。変に策を弄するよりは、やっぱりきちんと頼み込みに行った方がまだ良いだろう。ドラマみたいには行かないさ」
「マジかー。イケてると思ったんだけどなー」
 唇をとんがらせる並尼さん。
「うーん、とりあえず今日、あり合わせの情報を組み立てて、交番の方に行ってみようか。具合を見てからの方が、対策も立てやすいしね」
「そうだな。おっと、鳴っちまった」
 チャイムが校内に鳴り響き、生徒達があわただしく席に着き始めた。
「放課後、昨日のシャト・ノワールに集まるってことで、良いかな」
「う、うん……」
「おう」
「否定する要素は――」
「ほら、先生来るよー、千々泡ー」
 全員が着席し、月曜の時間割の消化が始まる。
 友人と親睦を深めるのも重要だが、学生の本分はあくまで勉強なのである。

 経過する日常。

 すっかり失念していた。
 月曜日と言えば、パズル同好会の日じゃないか。
「と言うことで、ちょっと顔だけ出してくることにするよ」
 放課後。
 今頃になって思い出した僕は、みんなへそのことを告げる。
「おいおい、休んじまえよ、んなの」
「休むけれどさ。それにしたって、先週土曜も出てないわけだし。顔を出しての弁解くらいは必要だと思うんだよ」
「そうかよ」
「僕は何処の団体とも、波風を立てるつもりはないんでね。先に行っててくれよ」
「了解。行くぜ、お前ら」
「オッケー。時鏡いってらー」
「あ、ちょ、ちょっと待ってよぅ……、まだ帰りの支度が……」
 三人が教室を出て行った。
 ……三人?
「あれ? 千々泡さん。みんなと行かないのかい?」
「教育機関の本来の役割たる学術知識の養成、もう一側面とされる社会的な人格の育成。後者としての働きを色濃く所有する建前上は生徒達の自主的な活動――すなわち部活動。特に紙燭灯高等学校に於いては貴君の所属する――論理的難問の解答模索、または捜索を同一の志として組成された団体について、若干の興味が千々泡切子と名称付けられし女学生に存在していると言って、虚偽とはならない」
「パズル同好会に興味があったのかい。それで、せっかくだから見学して行きたいとか、そんな感じかな?」
「否定する要素は見当たらない」
 自由と言うか勝手気ままと言うか、悪くはないんだけど……行動が読めないなぁ。
 君自身が難解なパズルだよ。迷宮入りだよ。千々泡切子のラビリンスだよ。
「ま、閾達も同好会の連中も、別に構いやしないだろう。僕は今日欠席の旨を伝えに行くだけだから、長居しないけれど。それで良かったら」
「提示すべき不満も疑問も不在だ」
 頷く千々泡さん。
 突飛で特殊な行動力と、自己表現が異様なところを除けば、彼女は物分かりの良い優等生と言えるだろう。人と接するにあたって、前述の二点の問題点は無視できないくらい大きいんだけれど。
 誰か千々泡さんを教育し直してあげてくれ。
「行こうか」
 鞄を持って、同好会の部屋へ向かう。
 千々泡さんは少し古風のロールプレイングゲームのように、僕の後ろをついてくる。
 言い訳についても考えておかないとなぁ、まさか古里井さん捜索している話をするわけにもいかない。流布されちゃ困る。ああそう言えば。一昨日の聞き込み時の出来事から考えれば、千々泡さんへあらかじめ余計な事を言わないよう、注意しておかないと……。
 そんな風に思慮にふけりながら廊下を歩きつつ、
 やおら千々泡さんの方を振り返り、
 注意について述べようと、
 口を開きかけた、
 ところで。

 からだが、ぶるると、ふるえた。

 携帯電話だった。
 放課後の携帯、マナーモード。
 ポケットから取り出し、ディスプレイを確認。
 続末 閾ツイマツ シキミ
 出る。
「……はい、時鏡ですが。閾かい? 千々泡さんなら――」
「う、うた、い……、謡依……」
「うん? どうしたんだい、良く聞こ――」
「謡依! く、来るな……っ! ――ガザッ、ザシャシャ……ザザザザザザ」
「え?」
 え?
 閾?
「閾? おい、閾!」
「…………」
 返答が無い。
 何だろう、嫌な――
 ――酷く、嫌な、予感が――
 ――嫌な予感が。
「ちょっと……ごめん、千々泡さん、これ、持ってて」
「? 貴君の行動にりか――」
 突っ立ったままの千々泡さんへと、鞄を押しつけて。
 携帯電話を耳にあてながら、僕はとっさに走り出す。
「おい、閾! 返事をしてくれよ!」
 廊下を走る。廊下を走ってはいけません。校則違反。
 知るものか。
 玄関口を、駆け抜ける。紙燭灯高等学校を飛び出す。
 何処にいるんだ閾の奴。携帯電話。GPS。落ち着け。
 落ち着いてられるか。
 シャト・ノワールへ向かったに決まってるだろうが。
「閾! 続末、閾! 何か言えってば!」
「…………」
 音は拾っている。
 雑音だけ拾っている。
 電話はまだ繋がっている。
 電話を取り落としたのだろうか。
 うつ伏せに落ちたのか、音から状況が判断出来ない。
「――くそっ!」
 分かれ道。
 どっちの道を行った。
 どちらからでも、シャト・ノワールへたどり着ける。
 パンでも撒いておいてくれ。ヘンゼルとグレーテル。
 太ったところを食らう、魔女。思考が混乱している。
 混乱するな。
「普段、閾は――」
 多分左だ。
 間違いなく左だ。
 確信的に左だと思った。
 その確信を奇妙だと感じる余裕など、今はなかった。
 走る。
 疾走。
 失踪。
 行方不明。
 古里井女苗。
 掌一文字の意中の相手。
 並尼晦日の相談の相手。
 千々泡切子の興味の対象。
 続末閾にとってはただの知り合い。
 僕――時鏡謡依にとっては――
 関係ない。
 走れ。
 眼鏡のせいで視界が、縦へ横へと、ガタガタ揺れる。
 眼鏡なんて開発した奴は一体誰なんだ。迷惑だなあ。
 伸ばした髪が風に煽られ、汗ばんだ顔に貼りついた。
 鬱陶しい。
 乱暴にかき上げる。
 まったく奏手の言う通り。短くしていれば良かった。
 角を曲がる。
 叫ぶ。
 あらん限り。
「しきみいぃぃぃぃいぃいいいいい!!」
 そして。
 たどり着いた
 否、とっくにたどり着いていた。
 泡のようにのぼって、臨界に達し、やがてはじける。
 僕等はとっくに臨界に達していたのだと、思い知る。

 あとはただ、はじけて散り行くのみ、だったのだと。



*   *   *



 がしゃん。
 携帯電話を取り落とした。
 拾う気にもならなかった。
 案の定、閾の携帯電話もアスファルトに落ちていた。
 腕ごと。
 赤い池に浮かんでいる。
 その路地裏は、赤よりも黒びやかな赤で塗りたくられていた。
 視覚情報を認識した直後、鼻を刺激が襲う。
 悪臭。
 血の臭いどころではない。
 排泄物と腐臭と死臭をない交ぜにしたような、刺激臭だった。
 しかし弛緩した両手は、鼻を覆うこともしない。
 瞬きすら出来ない。
 光景に圧倒され、釘づけにされて、いた。
 肩幅で縦に切り裂かれて、塀に背を預ける掌君が目に入った。
 彼のおどおどとした小さな目は、もう何処も見つめていない。
 良かったね、ダイエットに成功したんだね、掌君。
 とてもスリムじゃないか。
 腰辺りがぱっくりと開き、中身が良く見える女子高生が居た。
 脚の一本は、すらりと芸術的に、電信柱に寄りかかっている。
 紙燭灯の制服であの金髪。並尼さん以外にいない。
 確かにうなじが綺麗だね。
 俊敏そうな胴体が、地に伏していた。何故か首が存在しない。
 右腕も中頃で途切れてて、彼のワイシャツはすっかり赤黒い。
 目の前の人物が、生首を掲げていた。閾の頭部だ。
 とうに見慣れた火傷の痕。
 以上、三名。
 僕の知り合い。
 クラスメイト。
 僕のともだち。
 全員死んでいた。
「う……ぁ……あ、ああ……うあ…………」
 声にならない。
 なんなんだこれは。
 一体何が起きているんだ。
「……おやぁ……?」
 視界の中で、唯一、自分の足で立っている人物が。
 閾の首を片腕に持った、そいつが。
 僕に、声を、かけた。
「これはこれは。これはこれはこれは――この空気の中で、意識を保っているとは」
 口端を、怪物みたいに吊り上げる。
 鋭利過ぎる犬歯が見えた。
「UGNだろうか?」
「ゆ、ゆーじぃ、え、えぬ……?」
「違う、違うねぇ。その反応を見るに、違う。と、言うことはぁ……」
 そいつは、閾の頭を放り捨てた。
 ごっ、ごとり。
 湿ったような、重い物のような音を立てて、それは落下する。
 転がって、転がって。
 転がって、閾は、僕を見た。
 両目が、ちぐはぐな方向を向いていた。
「成程ぉ。君は、野良のオーヴァードなわけだ。しかも今! 現在進行形で、覚醒中と見える」
「お、おお、おーヴぁー……ど……」
「これは面白い」
 くすくすと、その人物は笑う。
 男だ。
 身長は高め――190に近いくらいだろうか。太くはない。明らかに歳上。三十代半ばか、それ以降くらいに見える。印象として、全体的に灰色。鼠色の、長いコートに、白髪の入り混じった、中途半端に長い髪。ファッションのように刈り込まれた髭。落ち窪んだ感じの目。瞳も黒より若干白っぽい。
 イメージカラーと、体の動きからして、漂っているようだ。
 その場に直立しているのに、かすかに揺れているような。
 揺れ方が人間のそれでなく、幽霊であるかのような。
 何より――これだけの血の海の中で、彼の服から指先に至るまで。
 一かけらも、赤く染まった部分が見受けられない。
 異常な。異様が、異質で、異形過ぎる、非現実が。
 口を、続けて開く。
「良いぞ。良い、良い。ならば、自己紹介からだ。君は私のことを知らないだろうからね」
「自己――紹介……」
 そいつは、名乗った。
「“悪循裁断Circuit”――頭ヶ丘凌河かしらがおか りょうが
 その名を生涯忘れない。
 頭ヶ丘凌河。
 こいつが――
「『こちら側』の世界で“サーキット”と言えば私を指す。刻み込みたまえ。そして、そう。この状況」
 こいつが、こいつが――!

「 私が殺した 」

 その言葉と同時に、僕は懐に手を突っ込んだ。
 学生服の内ポケット。
 掴む。
 勢い良く取り出す。
 右手にしかと、それは握られていた。
 ずっしりとした存在感。
 鈍く淡く、高貴な輝き。
 重くくすんだ黄金色の――

 機関拳銃。

 カチン!
 ひとりでに安全装置が外れる。
 形状の名称は、後から知ることとなった。
 閾のライターは、殺戮の象徴たる物体へと、姿を変えていた。
 真鍮色の、グロック18――全長186mm、装弾数17+1、連射速度は毎分1200発。
 拳銃など、扱ったことはないのに。
 銃口は、ぴたりと彼の頭部を向く。
 ここまでで、一瞬。
 ためらいなど皆無。
 引き金を握り込む。
「――ぁ、あ、ああああああああ!!」
 殺す。
 殺す、殺す。
 殺す、殺す、殺す!
 火薬が炸裂し、弾丸が射出される度、その意志が濃くなって行く。
 殺戮以外にあり得ない。
 一秒にも満たない内に、全十八発を撃ち尽くした。
 薬莢が列をなして空中へ放り出され、アスファルトへ転がり。
 極小にして決定的な破壊力が、次々と頭ヶ丘凌河の頭部を喰い千切る。
 が。
 驚いたことに、奴の体は倒れない。
 真っ赤に塗れて、向こう側へのけ反って、それでも倒れない。
 どころか、むくりと体を引き起こす。
「――は。ははは。はっはっはっはっはっは!」
 そして、声高らかに、笑った。
 銃痕がみるみる回復していく。
 逆回しに例える間も無いほど。
「はっはっはっは――素晴らしいっ! 覚醒して――すぐ! そこまで動けるとは……全く持って、素晴らしいではないか! 見込みが在る、見込みが在るぞ――」
 何故か少しも不思議だとは思わなかった。
 ぶち壊れてしまったのかもしれなかった。
 もはや、殺すことしか考えられなかった。
 奴が腕を振るう。手に、赤い刃のナイフを握る。
 刃渡りは、15cmほど。
 あれで。
 あれで――みんなを。
 僕は瞬間的に、右手の銃を構えた――撃った。
 カチン……ッ。
 しかし、既に弾は撃ち尽くしていた。
「はっはっは……くっくっくっく……」
 敵がナイフを構えてにじり寄ってくる。
 敵が。敵が。標的が。
 殺すべき怨敵が。
「弾が無いかね? 一体どうする? このまま君も、彼等に仲間入りするか?」
「ふざ……けるな……!」
 殺意が業火のように燃え上がり、全身を支配した。
 カチリ、カチリ、カチリ、カチリ――
 それら殺意が銃の内側で具現化し、銃弾として形成されていく――!
「ふざけるな!!」
 復讐だ!
 紛う事無き全身全霊誠心誠意、乾坤一擲の復讐だ!
 立て続けに弾丸が発砲される。
 立て続けに弾丸が装填される。
 そしてその全てが、音速を突破して復讐対象へ向かう!
「はははっ、はっはっはっは!」
 笑いながら。
 笑いながら笑いながら、踊るように。
 人間の機構を無視した体さばきで、敵は銃弾を躱した。
 まるで、骨格が存在しないかのような。
 漂うような動き。
 人としての位置を読んで撃った弾が、当たらない。
 そのまま――信じられない速度で間を詰められる。
 ナイフを持った、奴の右腕が横薙ぎに――
 鞭のようにしなる腕。
 後ろに反って、回避。
 避けた。
 はずなのに。
「ぐぁっ!」
 胸元から血が噴き出すのを直視した。
 傷口は心臓まで達していそうだ。
 意味するところは。
 ――つまり。

 死ぬ。

 暗転。

 明滅。

 そして再起。
「――か、はっ。な、何?」
 胸元を見るが、出血が止まっていた。
 どころか、裂けた学生服、そこについた染みまでもが、溶け込むように消えていく。
 これはまるで――さっきの。
「気づいたかね」
「!」
「それこそが、君の――そして私の力だ。基本的には死なない」
「死なない……」
「《リザレクト》――と呼ばれる現象だ。だが、死に続ければいずれ死ぬ。何も心配することはない。何も、だ! 楽しみが長続きするだけだ。素晴らしいじゃないか――くっくっく、くっく、くははははは!」
 死に続ければ死ぬ、と言うことは。
 殺し続ければ殺せる、と言うことだ。
 確かにそれならば、何の問題もない。むしろ好都合。嫌になるほど殺して殺して殺してやれる。
 じりじりと。後退して。僕にとっての適正距離を確保し。
 銃を構え――たところで、おかしなことに気付いた。
 奴の右腕。
 肘のあたりに、先ほど奴が持っていた赤いナイフが――くっついているのだ。
 ぶら下がっている、のではなく……突き出しているかのように、見える。
 いつの間に……?
「……ああ、これかね」
 視線に気づいたのか、余裕そうに奴は応える。
「これは私の体の一部だ。同時に――私の呼び名の由来、でもある」
 赤い刃が。
 ずずずっ、と、滑るように――滑らかに――
 奴の右指先まで、移動した。
 かと思うと、沈み込むようにして消える。
「……っ! なっ、まさか……っ!」
「そう」
 僕の驚愕が実に心地良いかのように、奴は満足げに頷いてみせた。
 両の手のひらを開いて見せる――と、そこからあの赤い刃が突き出してきた。
 出血することなく、むしろ刃自体が血で出来ているかのように――!
 そのまま、二本の刃は腕を主軸にするように、滑り、移動、回転。
 まるで。
 まるでそれは、大きなチェーンソーの刃のように。
「自在――だっ! 私はこの刃をいくらでも出現させ、体表面上を何処でも走らせることが出来る!」
 それで、避けたはずの刃が、僕の心臓を裂いたのだ。
 刃の回転はどんどん速くなる。既に視認すら難しい。
 人間大の――チェーンソー……!
 加えて、人を超越した曲線的な動き!
「こ、これが――、だから、貴様が……っ!」
「“悪循裁断サーキット”! そう言ったろう!?」
 ぎゅいんっ!
 もはや説明は不要と言わんばかりに。
 奴は驚異的な低姿勢で迫って来た。
「くっ……!」
 とっさに奴の左側――右腕を撃ち抜く!
 左腕――と、狙ったところで地をつく奴の左手。
 しまった――後悔するも遅い。
 奴は左手を支点に全身で、しならせるような蹴りを繰り出してきた。
 当然のように、脚にも回転する刃――!
 左腕で受ける、切断される、腕が飛ぶ!
 体を後ろに引く、右足まで裂かれる、バランスを崩す、勢いのまま後方へ転がる、
 距離を取れ、
 迫り来る、
 銃で牽制、
 効果あり――!
「はっ、く、ふっ、はっ」
 失った左腕に意識を込めると、魔法のように。
 あるいは悪夢のように、それが再生した。
 物理の法則も、生物の構造も、まるきり無視していた。
「はははははっ! 本当に良く動く!」
 奴がまた距離を縮めようとしてくる――!
 どう対応する――!?
 真鍮色の拳銃を握り締める。
 弾が無尽蔵なものの、あとはほとんど普通の拳銃だ。
 このままでは奴を殺せない――
「ほうら、もっと私を楽しくさせてくれよ!」
 ずい、ずい、ずい、と、距離が縮まる。
 後ろに下がるにも、もうほとんど塀間近だ。
 何か。
 何かないか。
 奴を殺しおおせるような、何か――
 ――何か。
 瞬間、奴が足を踏みきった。
 そう、思った一瞬あとに、奴は実際に跳躍した。

「――え?」

 おかしい、と感じた時には既に、前転状態で攻撃を避けていた。
 跳躍姿勢からアクロバティックに、四肢の刃が振るわれ――
 ――背後の塀が、ぎゃりぎゃりと切り崩されていた。
 コンクリートすらも容易に切り裂く、“悪循裁断サーキット”の刃。
「ほう」
 奴は興味深げに振り返った。
 おかしいのはその破壊力ではない。
 僕がその攻撃を回避できたことだ。
 行動前に動きを予知できたことだ。
 どう言うことだ?
 全体何が――いや!
 ここに至って、やっと自覚した。
 銃を手に持ったことすらなかった僕が、片腕で拳銃を使える理由。
 熟練の兵士のように、正確な射撃を行えた理由――!
「君ほど面白い子は、会ったことがないかもしれない」
 にや、ぁああ。
 と、口が裂けたとしか思えないくらいに笑みを浮かべ。
 奴は迫り、
 転んだのかと思うような足さばき、
 仰向けになりながら、ねじり気味に両腕を振るう、
 が、それをもはや僕は、事前に感覚している――!
 精確に銃口を向け、
 奴の両腕をすくい上げるように撃ち抜き、
 腰を落として潜り込み――背面から一斉射撃を加えた。
 光の瞬き、連続した音、薬莢の落下、勢いのまま吹き飛ぶ奴の体。
 どさり、と、地に落ちる音。
 さらさらと、僕の周囲を細かい粒子が飛散していた。
 粒子。
 砂のような、しかしそれより小さな粒子。
 それら一つ一つが、砂鉄のように磁力を持ち、電気を纏い、僕の感覚と繋がっている。
 狙いをつけるときは、外部的に粒子がサポート、固定し、まるで銃口と相手が接続されているかのように精確な射撃を可能とする。また、いざ弾丸が射出される際には、粒子が列を成し、まるで電流をアースに流し込むかの如く、衝撃を空中へ逃がす。
 ライターを拳銃へ。物質変化能力。
 殺意を銃弾へ。物質形成能力。
 そして、散布された粒子と間を繋ぐ電流による、空間把握能力。
「理解したよ――」
 僕は変貌を遂げていた。
 自らの変化について、確認を行っているところで。
「……くくく、くはっ、はっはっは、はーっはっはっはっはっはっは!!」
 ついに奴の歓喜が爆発した。
「この上なく素晴らしい!」
 倒れた体勢から、何処の筋肉を使ったのかわからないが、飛翔するような勢いで起立する。
「君の名を聞こうではないか」
「……、時鏡謡依だ」
「時鏡謡依! くっくっく、遊び相手の名としても上々だ!」
「遊び、相手、ね……」
「気に喰わないか? しかししかし、いくら逸材とは言え、まだまだ私とは釣り合わないことも間違いないのだから、しかたな」
「ついでに――」
「む?」
「掌一文字。並尼晦日。続末閾。お前が殺した人間の名前だ」
「ほう……? だが、それらは覚えるに値しない名――」
「もういい。死ね」
 下種が。
 相手を滅ぼしたい感情が充満する。
 殺意を装填し、僕は引き金を引き絞る。
 電磁粒子によって精確さを極めた弾丸が、奴の身体を――

 貫かなかった。

「――なっ!」
 奴は既に、僕を間合いに捉えていた。
 言葉ですらない、相手の意識が、刹那的に鮮明に、脳裏に響く。

「何を勘違いしているのか知らないが――
 だから、君ごときでは、まだまだ私に、及ばない」

 ――前方右方向中段!
 前方左方向――下段!
 刹那の内に感覚に任せ、銃弾を放つ!
 目まぐるしい、意識すら追いつかない――奴の体躯!
 炸裂音、金属音、刺激臭、金属臭――閃光、閃光、閃光、閃光!
 カチン――即座に充填、間に合わない――
 腕の感覚が失せる。
 空気の流れ。

「ほぅらね」

 きっかり6cmの間を開けて、奴と目が合った。
 正しく目前に、頭ヶ丘凌河の顔が存在していた。
 顎から、頭頂部にかけて。
 赤い刃が疾る。

 ざっくりと、頭部を縦に割られた。

 ――アスファルトの感触。
 今地に伏しているのは、僕の方だった。
 死因である頭の損壊は回復し、意識は戻ったものの……全身が酷く痛い。傷の回復が非常に遅い。
 まだだ。奴を、殺さないと……。
「おっと」
 声がかかる。
「それ以上はやめておいた方が良い。今の君じゃ、たとえ『ジャーム』になったところで――私には匹敵しない。それに、だ。私は楽しみは後に取っておきたい性質でね――」
 奴の足音が、遠ざかって行く……。
 動け、起きろ、捉えて、殺せ――
「また会おうではないか。謡依君」
 神経が繋がり、体を起したときには既に。
悪循裁断サーキット”頭ヶ丘凌河の姿は、消えていた。
 頭部と一緒に切断された眼鏡を拾い、得た能力で直し、かけ直す。
 人間の死体が三つ分、見えた。
 かけがえなかった人達が。
 続末閾が。
 もう何も言ってくれない。



*   *   *



 結局。
 復讐すら果たせずに終わった。
 頭ヶ丘との邂逅は、時間にしてみればわずか10分にも満たなかった。
 やっと押し寄せてきた現実の感覚に、僕が茫然としていると――ほどなくして、一台の車がやってきた。
 中から、ごてごてとした――ガスマスクのようなものを着用した人物が、降りてくる。正面の透明部分が広いので、顔の判別は可能だ。
 きっちりとした雰囲気の、整えられた髪をした男性。僕と同じくらいの身長だが、四十歳くらいに見えた。スーツを着こなした姿は、まるで洗練された秘書のようだった。
 彼は言う。
「ここにいらっしゃいましたか、時鏡謡依様」
 非常に丁寧な言葉の調子だった。
 加えて彼は、こんな惨状に対しても少しも動じるところが無い。明らかに、堅気の一般人ではない。
「……時鏡謡依様? なんだい、僕は年上のお偉いさんに、様付けで呼ばれるような身分だったかな。貴方こそ、どちら様ですか?」
「わたくし、哨吶さないと申します。UGNの、特に時鏡家にお仕えさせて頂いております、執事で御座います」
「聞いたことないよ」
「それはそうで御座いましょう。UGN――つまり、世界に知られてはならない情報を扱う機関に所属しておりますゆえ、わたくしめの存在を知るのは基本的に、『覚醒』なさった方か、それに関する人間のみで御座います」
「へぇ……」
 僕は、力なく頷く。
 かなりどうでも良かった。
 何と言うか、放心してしまっていた。
「謡依様のお父様でらっしゃいます、時鏡家現当主、揮居様より、お迎えに向かうように、と」
「お迎え――ってことは」
「はい。実は謡依様のご携帯電話には、その位置を知らせる機構が仕組まれておりましたゆえ。また、謡依様は時鏡家の御子息。近い内に必ずや『覚醒』に至るであろう、と、監視が行われておりました」
「そうかい……けれど、そんなことより……」
「ご学友のことは非常に残念で御座いました」
 機械的に、そう言われた。
「ですが、当局――UGNに於きまして、重大な事件が発生しておりました関係で、対応が遅れてしまいまして。どうかご容赦願いたく」
「重大な事件?」
「重要人物の失踪で御座います。以前、時鏡響基様がお亡くなりになられた際の事故に関係するものと見られております。それゆえ、現在UGNは大変な混乱に見舞われております」
「成程ね」
 それで奏手も忙しそうだったのかな。
「ところで、そのマスクは? 哨吶……さん」
「敬称は必要御座いません。時鏡家にお仕えしています身ゆえ。これは『対ワーディングマスク』と言うもので御座いまして。謡依様方のような『覚醒』なさった存在――通称、『オーヴァード』は、《ワーディング》と言われる力を持ってして、一般人であれば瞬時に無力化させることが可能なのです。僭越ながらわたくしは『非オーヴァード』……人間でありますゆえ、対応が不可欠なのです」
「殺せば死ぬ、人間、か」
「その通りで御座います」
 粛々と、哨吶は頷いて見せた。
「さて、お車へご搭乗下さいませ。現場は然るべき者達が洗浄いたしますゆえ――」
 洗浄。
 単語が引っ掛かった。
「――洗浄。ね。もしかして、失踪者扱いかい?」
「この度の被害は彼ら、学生のみで御座いますから――事故死として扱われるかと。ですが、それは場合によりけりでして。最も不自然でない方法がとられるのが、常となっております」
「場合によっては戸籍ごと消えることも?」
「無いとは申しません」
 そうかい。
 それが原因か。
 わかりやすい。なんて、わかりやすい。
 泣きたいくらいに、わかりやすい。
 なんて、呼び水。
 古里井女苗――彼女に引き寄せられるように、同じ死を。
 閾達は迎えたのか。
「……謡依様?」
「……いや。何でもないよ」
「左様でしたら、お車へ――」
 と。哨吶は突然沈黙した。
 足音が聞こえてきたからだ。そちらを向けば――
「……時鏡謡依氏。貴君が他者からの判断に於いて次の行動を予測しうる動作を一切顕現することなく、何処かへ向けて移動を開始したため、不審を感じ追走した」
 千々泡切子だった。
「やあ……、千々泡さん」
 僕は何気ない風にそう応え、彼女に向かって歩き始めた。
 千々泡さんは、その場を動かずに発言を続ける。
「現在質疑するべき内容は数多浮上しつつある。まず貴君が前述の行動に至った理由について、またこの場に定義される存在意味の――」
「千々泡さん」
 並尼さんのような手際で、千々泡さんの台詞を遮る。

 そして。

 僕が出来得る限りの、優しい笑顔で。

「 おやすみ 」

 そう、告げた。

 糸が切れたように、千々泡切子は崩れ落ちる。
 倒れてしまわないように、そっと。
 その体を支えた。
「……お見事で御座います」
 哨吶が後ろでそう言った。
「『覚醒』直後からそこまでの精度で、《ワーディング》を展開出来ますとは。さすがは時鏡家の嫡子様でいらっしゃいます」
「どうも。彼女も車に乗せてあげて良いかな?」
「構いません。ただ、この場の記憶はのちほど消去されてしまうかと」
「そんなことまで出来るのかい。ちょうど良いね」
 千々泡さんを何とか抱え、哨吶に手伝ってもらいながら、車に乗せた。
 車が発進する。
「謡依様、UGNの枕辺支部へ向かいます」
「枕辺? 何故だい」
「UGN枕辺支部を統べるのは、謡依様もご存じでらっしゃる……時鏡弾嬉様で御座いますゆえ。何かとご都合がよろしいかと」
「ああ、奏手のお母さんか」
「はい。また、検査を受けてもらいます」
「検査……ね」
「はい。大半の『オーヴァード』は、『覚醒』時に得られた力に溺れ、理性と自制心を喪失し、破壊行為のみを行う化け物――『ジャーム』へと化すのです。先ほどの“悪循裁断サーキット”は、UGNの判断に於いて『ジャーム』としての扱いを受けております」
「ふぅん、その危険性が無いか、と」
「はい。時鏡家の血筋は代々適性が御座いまして、『ジャーム』となり果てる可能性は低いと思われますが、念のため」
「了解だよ」
「ご理解いただけましたようで、恐縮で御座います」
 淡々と車は進む。
 街並みが移ろって行く。
 僕は、一時は拳銃と化した閾のライターを取り出し、炎を点けてみた。
 揺らめいて、いる。

 ――大切なものは失ってから気づくんだって、言うよな。

 そうだ。
 そいつはそんなことを、漠然と言い始めたんだった。

 ――俺からすれば……、
 ――失ってから気づけるものなんて、かつて大切に思っていたものだけ。
 ――そう言うべきだな。

 だったら僕は。
 君のことを決して忘れやしない。
 今日確かに、僕は続末閾を、失った。
 ありとあらゆる有象無象を、失った。
 これが現実の裏側。
 これが、時鏡家の仕事。
 ――カチン。
「哨吶」
「はい」
「時鏡家に仕えてると、言ったね」
「はい、申しました。事実で御座います」
「なら――その仕える対象を、僕個人に変えないか」
「は……どう言う意味で御座いましょう?」
 バックミラー越しに、僕を見る。
「そのままの意味さ。別に難しいことは言わない。仕事を変える必要もない。ただ、僕に協力してくれれば、それで良い」
「左様で御座いますれば――、嫡子たる謡依様の仰いますことゆえ」
「時鏡の嫡子に仕えるんじゃない。時鏡謡依に仕えるのさ。言ってることはこうだよ。僕の意見と時鏡家の意見が対立した時――優先しろとまでは言わない――中立でいてくれ」
「…………」
「悪いようにはしないよ」
 哨吶は、僕の意図を窺うような視線を、ちらちらと寄越す。
「何故、そのようなことを……?」
「僕はUGNに所属はしない」
「……ふむ」
「だが、利用はする」
 それも最大限、だ。
 何のためにか――?
 勿論決まっている。
「何故なら――僕は、“悪循裁断サーキット”を追う。追い、捕まえ、そして始末をつける」
 復讐してやる。
 殺戮してやる。
 そのためであれば、いかなる危険も顧みない。
 この身も魂も悪魔に喰われ尽くして構わない。
 どうせ日常には帰れないのなら、そこまでやらなければ。
 誰も、浮かばれない。
「UGNと相反する目的じゃないはずだし、基本的に時鏡家とも衝突は無いと思うけれどね。保険だよ。それで、答えは?」
 微笑みながら、鏡越しの視線で、彼を圧倒する。
 断られたところで、邪魔などさせはしない。
「……、承りました」
「助かるよ」
 僕は、隣の席を見やる。
 意識を失った千々泡切子さんが、そこにいた。
 どうか君だけは。

 それでは、だ。
 さようなら現実。
 どうかお元気で。
 お疲れ様だね日常。
 今までありがとう。
 
 おやすみなさい、世界。
 せめて貴方は良い夢を。



(第一幕、終)





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